サレになって色々悩むと、
サイトで検索してみたり
誰かに話を聞いたり、
心配して助言する人がいたりと
色々な意見が入ってくるけど、
そのどれもがあなた自身ではない。
ハッキリ言って『外野』です。
鵜呑みにせず、素直に聞き入れるだけじゃなく、
その意見をきっかけにして
自分自身で考え、
戦う自分が納得できる決断をしよう!
どーも、hyje(ハイジ)です!
あなたはサレになってから
誰かにソレを話した事はありますか?
サレになったのが苦しくて
誰かに聞いてもらいたい人、
逆に誰にも知られたくない人、
置かれている状況で仕方なく話さなくてはいけない人、
色々だと思います。
みんな性格も状況も相手も違うから
色んな事情やパターンがある。
誰かに相談したり
ネットで情報集めをしていると
色々な意見があります。
だけど、忘れないでほしい、
戦っているのは自分自身です。
聞いてもらっている相手でも
ネットに書き込みをしている人でもない、
戦っているのは『自分』です。
小さなころ持っていた
イソップ童話の本に
ロバを売りに行く親子の話がありました。
(正確には寓話の一つらしい)
~ロバを売りに行く親子の話~
父親と息子が飼っていたロバを売りに行きますが、
歩いて市場に向かう途中に
色々な意見の人に会います。
A「ロバを連れているのになぜ乗らないの?もったいない」
→そう言われて、息子をロバに乗せます
B「若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいな」
→そう言われて、今度は父親がロバに乗ります
C「親だけ乗って子どもを歩かせる?一緒に乗ればいいじゃないか」
→そう言われて、二人一緒に乗る事にします
D「2人も乗ってロバがかわいそうだ……」
→そう言われて、今度は親子でロバを担ぎます
E そして……
→担がれたロバは橋の上で暴れだし、
川に落ち流されて死んでしまいました。
ロバを売りに行くはずが
色々な意見に耳を貸したことで
結果として大切なロバを失い
一銭にもならず…… というお話です
(話は概要、一字一句原作と同じではありません)
※参照 Wikipedia
この話を
あなたはどう思いますか?
・Aの意見が一番正しいのに
何故他の意見を聞いたんだ?
・いやいや、Bが正しいだろう?!
・違う、Cだ!、
・何言ってんの? AとCが正しくて
Bだけ違うでしょ?!
とかね、
ヒトの意見は様々です。
ハイジの個人的な意見としては
どれだっていいじゃん!、
全部間違ってないと思う。
だって、この状況と意見をみたら
誰にも迷惑はかけていないし
世の中のルールにも反してないじゃない。
モノゴトに正しいも間違っているもないよ、
最低限にあるのはルールだけ。
それを侵さない限りは
どれがイイもワルイもないでしょ。
大事な指針は
『自分が納得しているかどうか』だけだよねぇ?
戦っているのはここにいる自分だけど、
周りは色々な事を言ってくるし
世の中には沢山の意見や考え方がある。
どれも、間違ってはいない。
でも、どれも正しくもない。
何が正解(良い結果につながる方法)かは
誰にもわからないし、
色々言ってくる相手は
同じ立場でも状況でもなく
何が分かるわけでもない。
意見を聞くのはイイと思う。
むしろ大切だと思うよ、
自分の選択肢を増やすために。
人の意見は聞けばいいと思う。
聞いて、考えればいいと思う。
その意見の意味や
自分がその意見で行動した場合の結果、
それに対して自分が思う否定や肯定、
沢山考えたらいいと思う。
でも
言われた事を受け止めて考えもせず、
ただ『受け入れる』のは、違うと思う。
自分以外の人間が語る
『こうあるべきだろう?』は、関係ないじゃん!
大切なのは自分が
『納得できている』か、どうか。
納得できているなら勿論いいと思う。
自分の人生だもん、
人の意見聞いて、納得して、行動できるなら
それは自分で「そうすべきだ」と
決断して動くってことだから。
問題に立ち向かっているのも
この人生を生きていくのも自分だから
外野の意見を受け入れるのではなく
自分自身で考えるべきなんだ。
普通はどうだとか正論だとか
どんなにまともめいた意見でも
過去を背負って
現状を踏まえて
踏ん張って生きていくのは自分であって
意見してくる外野じゃない。
けどぶっちゃけ、
どうすればいいのかわからない時
人の意見を聞き入れるのは
ちょっと楽だったりもするよね?
意見している人が
有名な人だったり
専門家と呼ばれる人や
そのジャンルで権威のある人、
あるいは経験者だとか、
自分の話を受け入れてくれる人、
そんな人だった場合は
「素人の意見じゃないんだ」
「この人のいう事は正しい」
「そうすれば楽になれるんだ」
思ってしまいがちがじゃないかな?
でもダメだよ、
自分で受け取って考えてみないと。
何度も言うけど
自分の置かれてる状況含め
本当にわかる人なんて
自分以外にいない。
苦しいし、怖いし、
時にみじめで情けないけど、
自分を動かすのは自分じゃないと。
何をもって『幸せ』とするかも
自分以外にはわからないじゃん。
繰り返しだけど
人の意見は聞くべきだと思う。
自分の意見や考え方だけでは見えない部分を
気付いたり考えたりするきっかけになる。
自分が何か問題と対峙している時
大抵は他人が関わっている。
他人が関わっていて上手くいっていないという事は
考え方に差があって問題が起きている可能性が高い。
自分が正しい間違っている、
相手が正しい間違っているじゃなく、
他者の考える事が理解できず
問題が起きているのなら、
相手の気持ちや考えを察する上でも
人の意見は大きなヒントになる時も多い。
そーいう意味で話を聞くのは大事だけど
誰かが言ってきた事に対して
「それが正しい」「自分は間違っている」
そんな風に考えてほしくはないと
個人的には思ってしまう。
正しいとか、
間違っているとかじゃないよ、
その仕打ちを受けたのも
傷ついたのも、自分、
あなたなんだから。
外野にはあなたの気持ちは分からないよ。
ハイジもサレだけど、
あなたの気持ちはわからない。
「あなたの気持ちわかるよ」
そう言ってくれる人がいたら、
あなたの気持ちがわかるんじゃない、
「あなたが傷ついているの、わかってるよ」
って、寄り添う気持ちがあるんだと
変換して受け取ってほしい。
あなたの気持ち、
分かるワケないんだよ。
生きてきた命の色んな場面が
複雑に絡み合った中で起きた事なんだもん。
わかるわけないじゃん。
だけど、
傷ついた気持ちは分かるって言ってくれて
寄り添おうとしてくれるんだよね。
その気持ちだけ心底有難く受け取って、
自分が独りじゃないんだと心強く思えたら、
答えは自分で考えて出さないと。
投げやりにならないで!、
感情的に結果を導きださないで!、
劇的な事が起こった今、
ある意味人生の分岐点にいて
先の人生をどんな風に変えるかは
自分のプロデュース力にかかっている、
投げやりになったり
悲しみに身を任せておぼれていたら
取返しのつかない後悔が来るかもしれない。
今どれだけ踏ん張れるか、
感情に飲み込まれず
冷静に客観的に
自分に起こった事を受け止めて
未来を見る事ができるかで
先の人生の着地点が大きく変わり
過去起こった事実は肥やしになり
無理に忘れるのではなく
『そんな事もあったな』と
消化できるのだと思う。
寄り添ってくれる優しい人が
「私も同じ様に裏切られたけど、こうしたよ」
なんて意見を言ってくれたなら
考える材料にするには有意義だけど
『鵜呑み』にする必要はない。
「許してあげなよ」
「離婚すればいいじゃん」
「慰謝料請求なんてやめなよ」
「探偵なんて雇わないで」
「自分も遊べばいいじゃん」
「あなたにも原因があったんだよ」
「私なら許さないけど」
「子どもの為に離婚はやめな」
「男ってそんなもんだよ」
受け入れる必要なんてない、
どんなに「あなたの為」の話であっても。
その意見を言っている人は
同じ立場でも状況でもない、
今このサイトをみてくれているけど
ハイジのいう事や選択だって
聞き入れる必要なんてないよ。
聞き入れる必要なんてないけど、
考えてほしいと思うんだよ、
大変なんだけどさ、、、
辛いんだけどさ、、、
できる限り自分の考える幸せに近づいて
なるたけ未来の後悔が少ないように。
ロバを売って収入を得るのが目的だったのに、
人の話を「そうだな」って聞いてるうちに
結果ロバを失ってしまい本末転倒……
そんな二の舞にならないように
してほしいなと思っている、
大変でも苦しくても考える事を諦めないで
「自分がどうしたいのか」
「自分はどうしたら納得できるのか」
を、考えてほしいです。
ハイジも頑張ります!
以下まとめ。
外野は色々な事を言ってくるけど、
どんなに有名な人の意見も
どんなに大切な人の言葉も
鵜呑みにせず、
それをきっかけにして
自分自身で自問自答し
納得いく選択・決断について考えよう!
過去を背負っていくのも
行動して頑張るのも
未来を受け止めるのも
全て自分自身なんだから。