<S1> 『信じる』について、考えてみませんか? 

『信じる』は、相手の言い分に託すことではなく、
自分の判断に対して『信じる』と、決断することではないかな?
「相手がこう言っているから信じよう」と
一生懸命に念じるのは『信じる』ではないでしょ?

どーも、ハイジ(hyje)です!

ここから私の勝手な持論が展開されます!
共感、反感、どんな感情を持たれてもwelcomeですが
持論展開のサイトですので
気分を悪くされた方はすぐ離れてくださいね!
ではでは、 ……

サレの私はこうしてD(旦那様)との暮らしを継続しており
世間一般でいうところの『再構築』状態にあります。

『再構築』の中身についてはまたのお話として、
裏切られた事を知った後、
その事実に傷つき悩む時間経過と共に
「このあとどうする?」
という事について考えます。

で、直面するのが
「裏切った相手を信じられるか」
という問題です。

それなりに信頼していた相手に裏切られたわけで
『シタ』実績がある人間とこの先やっていけるのか?
そう不安に思うのは当たり前だよね。

状況は色々あると思います。

不貞行為がバレたあと謝って継続を求めるシタ、
こっちが悪いわけじゃないのにシタが開き直り
何故かこちらが下手に出て離れる事を回避しようとしたり……

なんにせよ 今後
「外で自由に不貞してくれてかまいません」
って事にはならないのだから
相手が同じことを繰り返さない事が
一緒にいられる最低条件になってくると思います。

そこで判断の先頭に立ってくるのが
相手を信用できるか、信じられるかという事なわけです。

『信じる』って、どういう事だと思います?

今まで我が家も散々色々ありました。
その度にパターン様々で、
そんな事実は無いと苦しい言い訳を続けたり
今までの夫婦関係を美化して泣き落としにかかったり
もう自信がないからやっていけないと落ち込んで見せたり
劇団シタは様々な方法で自分を正当化しながら
その場の己に都合よい方へ話をすすめようとしてましたねー

んで、 裏切られる度に私は
「反省したんじゃなかったの?」
「絶対しないって言ったじゃん!」
「そんな事ないって言ってたのに!!」
「信じてくれって言ったじゃないのよ!!!」

という話になっていたわけです。

そんな事を何度も何度も繰り返している中
私気づいたんです……

「あー、 相手を信じちゃいけないんだ」 って。

相手の話や気持ちを信じよう、は、
相手の意思に託してるんですよ。

「こー言ってたから平気なハズ」
「今度こそ大丈夫なハズ」
「信じろって言ってくれたから信じよう!」
ってな感じで

「話してくれている事を、この人を信じよう!」

ってなっていた。
そんでまた裏切られた時に
「こー言ってたくせに」ってなるの繰り返し。

でもこれってさ、
実は相手じゃなくて自分にも責任があるんじゃない?
そう思ったわけです。

だって、
相手はイイ大人にもかかわらず
やっちゃいけない事やるような人間で
毎日息を吸うように嘘ついてた人なのに
それのいう事を信じたんでしょ自分は!?
って話になったわけですよ。

「相手が言ったから」で信用すると
そのあと予期せぬことが起こった時に
責任を相手にもっていっちゃうんだけど
相手を信じようと思ったのは紛れもない自分なんだよね。

約束やぶるヤツは悪いヤツなんですよ! 勿論!!
だけどさ、知ってたじゃんと、、
相手が悪いヤツだって、人を裏切る事ができるヤツだって、、
わかってて相手の「信じてくれ」に託した結果がコレ。

詐欺じゃないの?と疑って話してた相手が
「詐欺じゃない、信じて!」と言ったから信じて
挙句だまされましたみたいな感じ。
これって自分も悪いじゃん?

なので私はこう考えるようになりました。

信じるのは相手ではありません、『自分』です。
『自分の決断』です。

この人と一緒にいよう、頑張ってみよう、
そう思った自分自身の判断を、決断を、信じるっ!
相手の人間性を信じるのではなく、
私が「こうしよう!」と思った決断を信じる!!!

相手の言う事は、覚悟は、、
本当かもしれないし嘘になるかもしれない。

それでも継続しよう、
再構築しよう、
一緒にいよう、歩み寄ってみようと思ったのなら、
『信じる』のは『相手』ではなく
その道を選んだ自らの『決断』です。

自分の『決断』を信じる。
色々総合して判断して
「この人のいう事を信じる」のではなく
「こう話すこの人といるを決断した自分を信じる」だと。

バリバリに屁理屈かもしれないけど
こーいうちょっとした事が大事だったりするんですよー。

半分水の入ったコップを見て
「半分 も 入ってる」と思うか
「半分 しか 入ってない」と思うか みたいな?
ちょっとの考え方の違いで随分方向性が違うじゃん?

相手に託すか自分軸で考えるかで
この後全然違ってくるんですよ不思議と。

相手に託した場合は何か起こった時に
ほぼ相手のせいにしてるから。

しかも態度に出るんだな、
「お前が信じろっていったからそうしてやってんだ」
オーラみたいのが。

でも自分の決断で自分が選んだ道だってちゃんと意識してれば
うまくいかなかった時も
「しくじった!」
「ハズレくじ引いた!!」
で、終わりです。はい。

間違ってもやっちゃいけないと思っているのは

「絶対にもうそんな事しないハズ!」

と、思い込もうとする事。

大抵ね、「なんか変」と思う時は
なんか変な事起きてるんですよ。
それを一生懸命
「そんなハズない!大丈夫!」
と、相手の言葉を信じようと努めるのは
現実逃避でしょ。

いませんか?、まわりに。
話聞いてて
「絶対真っ黒だろっっっ!」
って思う話や相手を信じ込もうと思ってる人。

それが本当でも嘘でも
まー本人の人生ですから
当人がよいならイイのですが
私はイヤなわけですね。

自分の人生が素晴らしいと他人から評価されるものでないとしても
自分で納得して生きていたいわけです。
それが下記まとめの考えになったのね

『信じる』を相手の意思に託すのではなく、
『信じる』は、相手に対して抱く気持ちでもはなく、、
自分の中で合否を判断し、その決断に挑む事だ! 

と、ハイジは思うのです!

あなたはこの話どう思いましたか?

最後まで私の話にお付き合いくださりありがとうございます。
思っている事を言葉にまとめるのは難しいですね……



それでは また!

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